人は絶対に理不尽に死んではなりません.これが私が防災をやるときの信念です.理不尽じゃない死に方ってなんだよ,というような質問はよけておいて,とにかく理不尽に死んではダメです.なぜか.あなたが死んでしまうことで,悲しむ人がたくさんいるからです.
一人の人が亡くなると,どれほど深い悲しみが生まれるか.しかも一過性のものではありません.あなたを大切に思う人は,その先ずっと,あなたの不在を辛く哀しく思うのです.そう思う人が何人も何人もいるんです.まとめると,なんて大きな悲しみか,と思いませんか?
一人の命が失われてもこれほど大きな悲しみが生まれるのに,東日本大震災ではそれが2万名近くもの方に起きました.取り返しのつかない,恐ろしいほどの悲しみです.今なお,続いています.
私は阪神淡路大震災を見て地震学者になろうと思いました.実際,なりました.でも地震はなくなりません.当たり前です.自然の営みは私がどんな人間になろうと関係ありません.中越地震が起きたときに,人々に地震の知識を伝える地震学者になろうと思いました.地震はなくならなくても,今ある知識や情報を知ってもらえれば被害は軽減できると思ったのです.そして,可能な限りそうしてきました.
でも2011年3月のあの日,私が地震や津波について説明した中学生が,その授業から一年もしないであの巨大津波に襲われました.私は,いつかこの子たちが本当に津波に襲われる,と思って授業をしていたのだろうか.自分の授業が命に直結するということを本気で考えていたら,知識を伝えるだけではなく,お願いだから生き延びてね,バカを見てもいいから高台に逃げてね,ともっと一生懸命伝えたと思います.一生懸命やってきたつもりだったのに,私には何かが足りなかったのです.
私が講義をした東北の子供たちは全員生きていてくれていました.各自の判断で,ちゃんと大切な命をそれぞれが守ってくれました.生きていてくれてありがとう.本当にありがとう.
今の自分は,そうやって生き抜いてくれた方々に許されて存在しているような気がしています.だからそれに報いられるように,地震で理不尽に死んでしまう人をゼロにする,それが東日本大震災から得た,私が見失うべきでない方向です.これさえ見失わなければ,たとえ道を塞がれても,雑音が入ってきても,もう道に迷うことはないでしょう.
地震による犠牲者をゼロにする.被災地で,あらためてそう誓ってきました.
長文にお付き合いくださり,ありがとうございました.