情熱大陸のこと

9月2日に取り上げていただいた情熱大陸について,少し時間がたったので,思ったことなどを書いておこうと思います.私が携帯している防災グッズや地震の科学の限界についてなど,よく受ける質問への答えなども盛り込んだので長大になりました.

震災後,新聞の2面やテレビの人物取材などの依頼が増えるようになりました.有難いことなのですが,実はこういった依頼はすべてお断りしてきました.地震学者を取り上げるくらいなら,一人でも多くの被災者をとりあげてください,と.情熱大陸さんからご連絡があったときも,そのような想いから,一か月近く,Yesの回答をせずにおりました.

一方で,ひとりひとりが生き抜く力をつけるための防災という地道な活動を,地を這うようにやっていくことにも限界を感じていた時期でした.もっと多くの人に,もっとまっすぐに,メッセージを伝えられないか.そんな折に,プロデューサの山本さんから直接お電話がかかってきました.それで,お断りしたいと思っていること,一方で自分の活動に限界も感じていることをお伝えしました.

南三陸町と気仙沼市との境界あたりで,風景を撮影する増永さん.

一度お会いしましょうということになり,山本さんとディレクターの増永さんのお話を伺って驚いたのは,メディアという立場として,2万名近い犠牲に対して責任を感じられていたことでした.取材の意義を人に説明するときに,一度,山本さんが「あの2万人の犠牲は,研究者も,それからメディアも,本気で命の大切さを伝えてこなかったからだ!」と強い語気でおっしゃったことがありました.このような想いの方々とご一緒できたことに感謝しています.そしてその想いが,多くの方に届いて,大切な命を守ることに少しでもつながってほしいと思っています.

 

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