4.なぜ『安全宣言』になったのか
これについては検察側が重大な証拠を提出してきました.国家市民保護局の長官であるベルトラーゾ氏と州政府市民保護局長であるスターティ氏との電話やり取りです.証拠音声では,安全宣言を出すという結論ありきで大災害委員会を開催すること,巷で予知情報を出している”お騒がせ野郎”を黙らせて市民の不安を落ち着かせよう,といったやり取りがなされています.このテープについては2012年4月にINGVで関係者にインタビューしたときに教えていただき,その後,NHK-BSで放送された『訴えられた科学者たち ~イタリア 地震予知の波紋~』であらためて拝聴しました.
つまり,行政はパニック状態の市民をおさめるために,はなから安全情報を出すつもりだったこと,そしてそれは行政判断ではなく,科学者からのお墨付きという形で遂行することを,委員会を開催する前から決めていたのです.
委員会の開催に前後して,国家市民保護局のDe Bernardinis氏(上記ベルトラーゾ氏の部下)とメディアとのコミュニケーションがありました.なんと彼は,委員会で専門家の意見を聞く前に,安心して待っていていい,という趣旨の発言をしています.そして委員会後の記者会見で,委員会開催前の自分のコメントを否定しませんでした.会見のようすを映したものは現存していません.映像だけ残っていますが,音声は地震による建物の倒壊で紛失してしまったそうです.ですので,私も会見でどのような発言がなされたのかは知りません.ただ記述には,「ワインを飲んで待っていていいか」という趣旨の質問に,おどけてYESという返事をしていることや,「群発地震でエネルギーが解放されているのはいい兆候だ」と発言していることなど,地震学的にはありえないことがDe Bernardinis氏から発言されていたとあります.
小さい地震でエネルギーを解放しておく方がいい,というのは典型的な間違った考え方で,そんなことは自然界ではまずあり得ません.なぜなら大きい地震のエネルギーというのはとてつもなく大きくて,たとえばラクイラ地震のM6.3のエネルギーを小さい地震で解放するためには,M4.3の地震が1000回も起きなければなりません.しかしラクイラで起きていた群発地震はせいぜいM2やM3の地震でしたから,100万回くらい起きなければならないのです.4月6日の地震までに起きた群発地震は数百回程度ですから,このような規模の小さな地震では大地震のエネルギーなど解放されるわけがないのです.小さい地震でエネルギーを解放しているのでいい兆候だ,などというセリフは地震学者だったら口が裂けても言えないでしょう.
話がそれましたが,会見に居合わせた国家市民保護局のDolce氏(De Bernardinis氏の部下)に会見でのようすを伺うと,「ラクイラが危険な地域であることは,科学と歴史が物語っている」「地震はいつか必ず起きるが,それが明日なのか3ヶ月後なのか,10年後なのかは分からない」と発言したと言っていました.これは遺族らの言い分とは随分違う,というよりは,正反対の印象を受けました.また,この会見を受けての当日のラクイラ市でのニュース番組をNHK-BSの上述の番組で拝見しましたが,メディアははっきりと「安全宣言が出されました」「市民の皆さまには朗報です」と言っていました.
これらのことから,委員会開催前後の国家市民保護局の防災担当者が,大地震には至らないと人々が思うようなコミュニケーションをしていたということは,かなり蓋然性が高いと思われます.そしてこのようなコミュニケーションを取った背景は,巷の予知情報を抹消し,目先のパニック状態をおさめたいという国家市民保護局と州政府市民保護局長の思惑があったと考えられます.
他にも,私が2011年1月に現地に調査に伺った時,Boschi博士が,大災害委員会の開催の経緯について,「今から思えばすべてがおかしかった」とおっしゃっていたように,普段と異なることが多々あったようです.
まず,この委員会は普段はローマの国家市民保護局の会議室で開催されます.ところが今回はラクイラでの開催でした.次に,これまでは委員会の閉会時刻は決まっておらず,心行くまで議論をしていたのですが,今回は1時間くらいで打ち切られたとのことです.さらに委員会メンバーが忌憚なく率直な意見を言えるように通常は非公開で開催され,その後でレポートを記述して閉会しますが,今回はラクイラ市長や州の防災担当者に公開されていました.そしてレポートもなく終了しました.
これらの点について国家市民保護局のDolce氏にもインタビューをして確認すると,ラクイラでの開催はラクイラ市から要請があって応じたこと,1時間で議論をしつくしたので閉会したこと,そして閉会後数日たってからレポートを書いてサインすることはこれまでもあったとのことで,意見は食い違っていました.いずれにしても,これまでの大災害委員会とはさまざまな点で異なっていたようです.
行政に利用されたかもしれない科学者たち.彼らは一体どうするべきだったのでしょうか.利用されないように注意することと,利用された後に対処することはできたはずです.次ページではそれを考えたいと思います.