ラクイラ地震 禁錮6年の有罪判決について(7)

6.思うところ(2)

他の感想として,遺族の方々と話していて,特に以下の2点について衝撃を受けたので書いておきます.ひとつは,「政府の委員をやっているのであれば,行政も科学者も我々にとっては同じだ」とはっきり言われたことです.こう言われてあらためて考えてみれば,一般の方々には確かにそのように映るのかもしれません.でもこれは我々研究者には衝撃的な情報です.国から依頼を受けて委員を引き受け,可能な限りの知見を提供します.それがどう料理されて国民に届くのかまで,必ずしも我々研究者が関知できるわけではありません.誰がどこまでなんの責任を負うのかは明確にしておく必要があります.

たとえば原子力発電所の建設に科学的見地から反対したとしましょう.でもたとえば,原子力安全・保安院や事業者がそれに応じなかった場合,そして事故が起きてしまった場合,誰が責任を問われるべきでしょうか.これは今現在,実際に起きている話です.むづがる東電と保安院を議論の末にようやく説得した2名の地震学者と地質学者が,現在,刑事告発されています.せっかく説得したのに,防潮堤を高くするという対策を取らせずにみすみす2年も放置したのは保安院であり,東電でしょう.アウトプットの行政の怠慢のうちに3.11が起きてしまい,結局,科学者が告発されているのです.東電と保安院に3.11までに対策を取らせなかったから,というのが告発した人たちの理由です.私を含めた委員ではない地震学者,特段原発に興味も関心も持たなかった他の多くの地震学者は誰も告発されていません.委員になって,科学者としての委員の役割を全力で果たして東電と保安院を説得した地震学者と地質学者が,刑事告発されているのです.こんな立場に追い込まれるのなら,委員はやらない方が身のためです.それで原発推進派の人ばかりが委員会構成員になって,はたして社会のためになっていると言えるでしょうか.

話をラクイラに戻しましょう.研究者自身についても,どういった情報発信のあり方がいいのかについて,もっと関心を持つべきだという反省点も見えてきます.たとえば我々の地震の科学の分野では,多くの人は地球の方を向いて研究しています.私のように人間の方をむいて研究していると,ボランティアですか,などと言われてばかにされることがずいぶんありました.あなたの研究は数式が出て来ないんですか,などともよく言われてきました.でも人々が地震学に対してどのような認識でいるのかを知らないと,双方にとっていい情報発信はできないと私は考えています.この点について,もっと成熟したコミュニティになってほしいと思っています.

2つめは,遺族に対して私が「もしも会見で,地震が起きるかどうかは分かりません,と発言していたら,裁判に持ち込みましたか?」と聞いた時の答えです.遺族らは,しばらく考えてから,「はい.それでもやっぱり国と科学者には責任があると思います.建物が弱いことや地震の危険性が高いことについてちゃんと言及するべきです」とおっしゃいました.つまり,住民が求める科学者像には,こういった対処療法的なことへの助言も入るのです.私は今では防災教育を専門としているので,こういったことはいつでもどこでも発言できるようになりましたが,他の多くの地震学者には驚くべき事実ではないかと思います.地震の研究をしているのであって,家が倒壊するだの家具が転倒するだのは防災担当者が言うべきこと,という感覚を持つのはごく普通のことだと思うのです.私も今の研究を始める前,普通の(?)地震学者だった時はこのように思っていました.それに自分の分野以外の事を話すというのは研究者が嫌うことのひとつです.建築学をやっていないのに建物について言及するのははばかられるというのが研究者の率直な想いです.

でも遺族のこの発言は,そうではなくて,地震という現象に関わる人ならば誰もが,基本的な防災対策についていつでも発言できる状態であってほしい,という願いが込められています.研究者自身がどうしてもできないというのであれば,委員会の中で,「記者会見では具体的な防災対策まで伝えてください」と行政担当者に要求するべきでしょう.

さて,平時から防災対策を訴えている立場からすると,そんなこと毎日毎日何千回も言っているのに,ぜんぜん聞いてもらえなくて(泣),いざ地震が起きるといきなり「なんで言ってくれなかったんだ!」と責め立てられ,罵声を浴びせられるというのが実情です.平時からも聞いていただけるような,そして備えのアクションを起こして頂けるような情報発信のあり方はどうあるべきなのか,これからも研究して実践していきたいと思っています.

最後に,ラクイラで亡くなった309名のおひとりおひとりに愛する家族がいて,大切な友人がいたことが,遺族と面会してひしひしと伝わってきました.死者の数が何名であっても,命を失うというのはとても悲しくつらいことです.犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします.そして倒壊したままの家屋,ゴーストタウンのような街並みを思い出すにつけ,今も胸が痛みます.一日も早い復興を願っています.

敬愛するイタリアの地震学者たち,面会して胸の内を語ってくれた遺族たち,そして次の地震の被災者になりうる多くのイタリア国民たち,苦しい経済状況の中,防災対策を進めなければならない国の担当者たち,このすべてに信頼関係が築かれ,大切な命を守れるようになることを,遠く日本から,可能な限りサポートしていきたいと思っています.


ラクイラでの取材では,朝日新聞のローマ支局にご協力いただきました.この場をお借りして御礼申し上げます.ありがとうございました.

コメントは受け付けていません。