ラクイラ地震 禁錮6年の有罪判決について(2)

2.ラクイラの地震活動とラクイラ地震

ラクイラではもともと月に数回程度の地震活動がありました.イタリア国内でも地震の頻度の高い地域です.2009年4月までの半年間は,これまで以上に地震活動が活発でした.3月30日にはさらに活発化して,マグニチュード(M)4程度の地震も起こりました.

このような小さな規模で何日も続く地震を「群発地震」と言います.体で感じている現地の人はさぞかし不気味な,不安な気持ちになったことでしょう.このような群発地震が起きている状況の中で,3月上旬には,独自に地震予知情報を出す人が現れました.空気中のラドン濃度で予知情報を出したジュリアーニさんが有名ですが,他にも複数人いたとのことです.

ちなみに,空気中のラドン濃度で地震予知をする方法は確立されておらず,科学的にはむしろできないことが多く言われています.実際,ジュリアーニさんが予知をした震源地と,ラクイラ地震の本当の震源地はずれていて,本当に避難勧告をして大勢の人を動かしていたら,震源から遠い人をわざわざ震源地に避難させるという危険なことになっていた可能性がありました.このように,いかなる方法であれ,現段階での地震の発生予測には大きな不確定性が伴うのです.場所にも発生時刻にも.不確実性を少しでも小さくするには,地震という現象そのものを解明しなければなりません.地震学はまだこの段階なのです.

さて,一ヶ月も続く群発地震と巷のさまざまな予知情報を受けて,小さな町では情報が錯綜し,軽いパニック状態になっていたようです.3月30日にはM4の地震が起き,地震の数はさらに増えました.そこで翌31日に,国家市民保護局は大災害委員会を招集しました.

その6日後の2009年4月6日午前3時32分,ラクイラ市をM6.3の地震が襲い,309名の方が犠牲になられました.ラクイラの町は歴史的な建造物が多く,耐震性がありません.ほとんどの方は石造りの家の下敷きになって亡くなりました.

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